2019.12.13

社長ブログ

『おじさん、僕を弟子にしてください!』

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-弟子入り編-

 

 

皆さんこんにちは、早速、前回からの続き!ちょうど、僕の小学生から大工へ弟子入りするまでのこと書きます!!僕は、小学生時代、年中半袖半ズボンの男の子。その代わり鼻水も年中出ていたので。「石山くんの鼻水が汚い」が"終わりの会"の議題にあがった。

 

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その結果、みんなのアイディアで、クラスで一番優秀な『さえみちゃん』が僕専属の"石山くんの鼻水が出たらティッシュを渡す"だけのお世話係になった。小学生にして、専属面倒見係を持てた。今だに、かーちゃんから「さえみちゃんがいなければお前は小学校を卒業できなかった」と言われる。さえみちゃん、この場を借りて「ありがとう」中学生時代は、「学校なんか、クソくらえ!」って廊下に唾吐く、"尾崎豊さ"を持ち合わせることなく、毎日バレーボールをやっていた。未来の不安や夢を考えることなど全くなく、“義務教育フォーエバー”って思えるぐらい毎日を全力で楽しんだ。中途半端な思いのまま、中途半端な人生を進み出す。そんな奴が行ってしまいがちな高校"田辺商業高校普通科"に進学。「商業高校なのに、普通科があるの?」って違和感を感じることなく、(はい・いいえ)の真ん中の"・"に"〇"してしまう、どっちつかずな選択をした。高校でもバレーボールを毎日したが、3年の夏の大会が終わってから、初めてこれからの人生について考え出す。バレーボール以外何もやってこなかったことと、バレーボールで飯が食えない事「俺、大人になりたくない!こんな時ドラえもんがいたらな~」18歳で現実逃避してみた!現実は変わることもなく、もう一度、引退したのに毎日部活に顔出す"クリアーしたドラゴンクエストのレベルを上げに行く"だけの嫌な先輩になる。そんな残念な息子を見かねて、かーちゃんから一枚の「日本建築専門学校」と書かれた学校案内を渡された。今でも覚えていますが、表紙が衝撃的で、作業着を着た生徒の後ろに、味のある木造校舎、そのバックにそびえる富士山!!「富士山、近すぎ!!」そのインパクトに心奪われた。

 

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「あんた、これにしなさい。」小さい頃から、パンツ、靴下、Tシャツ、自転車、何の疑問も持たず、かーちゃんが買ってきたものを感謝して使っていたが、まさか学校までかーちゃんが決めると思ってなかった。父ちゃんが「登啓!日本一の富士の麓で、日本一になりなさい」熱く語る。未だに、何の日本一を目指せと言われたか分からないまま今日に至る。とりあえず、日本建築専門学校に入学!行って驚いたこと!クラス40人の全寮制、学校がほぼ樹海の中、近所がおもいっきりオウム真理教!すげー環境だった!学生の大多数はみんな、小学校の時から「将来は大工さんになること」と宣言している奴らが全国から集まってくる。この仲間が大工を目指すきっかけをくれた。毎日、カンナの刃を研いだり、課題の図面を書いたり、サッカーやったり、樹海にキノコ採りに行ったり、捕まえてきた鹿食ったり、お酒吐くまで飲んだり。この学校も義務教育フォーエバーの夢中になれた学校です。先輩も後輩も日本全国で、建築家や宮大工、住宅会社の経営者として活躍しています。楽しい時間はすぐ過ぎる。今度は人生の岐路「何処に務めるか?」「どういった人生を歩きたいのか」僕は、将来独立して工務店をやりたい!と考えていたので、そのために大工の技術を身につけようと、いい腕の棟梁の下で学ぼうと考えていた。その時、またまた母ちゃんから、「いい大工さんいるよ!」紹介してくれたのは、僕の同級生の陽子ちゃんのお父さんだった。陽子ちゃんのお父さんには昔、夏休みの工作でゴルフクラブを木で作ってもらった事があったので、お話しして夏休みの期間に、アルバイトさせてもらった。スゲ~難しい木組みの家を施工していたので、腕が良い大工さんなのが解った。その建物は今も白浜の別荘地にありまして雑誌にも載った作品でした。腕も人柄も良かったので「おじさん、僕を弟子にしてください!」この方が、僕の親方になる川口洋二さん。

 

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「仕事が無くてお前が飯、食えなくなったら可哀想やから。わしが仕事もらっている高垣工務店の社員として頼んでみたるよ」「高垣工務店って何ですか?」丸っきり知らなかった。僕が通っていた高校の近くにあったのに、丸っきり知らない、それは小さな倉庫みたいな会社でした!本日はここまで。次回、『え~!!入社面接に母ちゃん同伴』乞うご期待!!

 

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