2020.04.25

社長ブログ

『ママとパパパーキンソン』

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-番外編-

 

僕には、84歳になる“姐さん女房”のママと81歳になるパパがいます。北海道で炭鉱堀をしていた父ちゃん。時代の煽りで炭鉱が閉山。職場を求め上京。そこで草履屋の娘の母ちゃんと出会う。身内からあまり歓迎されない結婚。駆け落ちの勢いでたどり着きやすい温泉街の白浜に上陸!そのノリで僕が生まれた。だからノリって大事。

 

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7年前に両親は40年近く住み慣れた社宅を出ることになった。いつかそんな日が来ると思い、僕の家には8畳の和室がある。「母ちゃん一緒に住むか?」って聞いたが「お前の世話にはならない」が口癖の江戸っ子母ちゃん。出した答えが、ボロボロの中古物件を購入 & ノリのリフォーム。リビングが漆喰梁見せの吹き抜け、置屋風オレンジの和室、屋根に沖縄でもないのに守り神シーサーを完備。「この歳で初めて家が持てた」と喜び、老夫婦肩を寄せ合いながら生活。たまに孫が「白浜のおばーちゃん、おじーちゃん」と遊びに来る家になっていた。このまま、お互い平和な時間が続くもんだと思ってた。そんな矢先!!5年前に父ちゃんが突然パーキンソン病になった。これまで病気とは無縁の父ちゃん。回遊魚のマグロと同じ!止まったら死んでしまう多動性な父ちゃん。キングコングの西野よりポジティブだったあの父ちゃんがパーキンソン病になってしもーた。腰は直角に曲がり、手は震え、歩く速度も極端に遅くなり、表情も暗くなった。靴も、小学生が学校で履く白いバンドつきの上靴を履くようになった。トイレが間に合わず失禁する回数も増え。あのたくましい父ちゃん少しずつ弱っていくのを、見守る母ちゃんも辛かったと思う。母ちゃんは僕が4歳の時に、十二指腸潰瘍を患って、一度死にかけて大きな手術をした。今もお腹には六つの穴と大きな切り傷がある。当時、僕と弟は母ちゃんのお腹を見るたびに、7つの傷の男「北斗の拳」の“ケンシロウのお腹”と言って笑っていた。父ちゃんは、「お母ちゃんは体が弱いから大事にしてあげるんだぞ」と言って、どんなに仕事から疲れて帰ってきても、家事を手伝っていた。そんな、父ちゃんの方が先に体が老い出し、母ちゃんが支えている姿に息子としては何にもしてやれんかった。それから母ちゃんなりに父ちゃんを支えながら数年、生きてきました。そんな母ちゃんが今年、腎臓を患い病に倒れた。数値はどんどん悪化して、緊急入院を進められたが、「体が動かない父ちゃんをおいて、私は入院できない!これで死んだらそれが私の人生よ!」と頑なに入院を拒んだ。

 

介護等級も一番軽い要支援1から要介護1になってしまった。食事も喉を通らない、どんどん痩せて元気がなくなる、そんな毎日が続く!心配で三重県から弟も仕事の合間をぬって尋ねてきたが、そんなに連続では通えない。僕も仕事が忙しく毎日通えず。『お前、仕事と親どっちが大事なんだ?』と周りから聞かれても動けない。今僕は、嫁と子供3人+40人のスタッフの大黒柱でもある。母ちゃんも「男ならちゃんと仕事をしなさい!」といつもの通り、強がりながら言ってくれた。そんな時、本当に心から支えてくれたのは、高垣幸夢店半日型デイサービス「きたえるーむ」のスタッフでした。

 

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きたえるーむ開店当初から、両親は通っている。スタッフのことが本当に大好きで、孫のように接していた。やたら、人生相談をやりたがる父ちゃんと、おしゃべり好きな母ちゃんをスタッフは慕ってくれた。ひいき無しできたえるーむのスタッフは本当にあっとう的にいい奴らだと思う!年寄りの両親をかかえる家族として、自分たちの家族以上に両親の事を思ってくれる人がいる事に感謝である。おかげで、母ちゃんも奇跡的な回復をとげ、「石山さん寂しかったわよー」と言ってくれる、きたえるーむのゲスト仲間もいて今は楽しく通っている。まだ、病が治りきっていない母ちゃんは、それでも病院のボランティアに通う。どんなにしんどくてもお世話する側に回りたいらしい。「本当に自分が動けなくなったときにお世話になるから」そのための“見えない貯金”らしい。先日、父ちゃんからいきなり電話。どうやらお散歩に必要な「新しい手押し車が欲しい」と、コメリとコーナンを何回も往復させてられて、最新のやつを買わされた。帰りに、母ちゃんが「寿司が食べたい」と、寿司屋に連れて行かされた。とうちゃんから「お酒飲んでいい?」と笑顔でお願いされた。腰の曲がった父ちゃんの手とヨボヨボに痩せた母ちゃんの手を引いていたら、子供の頃おもちゃをねだって、両親に手を引かれながら買ってもらい、帰りにお子様ランチを食べさせてもらった子供の頃を思い出した。『あと、これが何回できるのかなー』と思ったら、涙が出てきた。

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