2020.08.08

社長ブログ

『班決めドラフト会議』

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先月、中学生になった長女と話していた時、「今度、新しいクラスで“班決め”すんねん。楽しみ〜!!」とお話してくれた。「モエちゃん、お父さんの“班決め”の思い出は、トラウマレベルで恐怖でしかないよ!」

 

これは、今はポッチャリ中年のおっさんが12歳の初々しい中学生の頃のお話です。僕が育った観光地の街“白浜”では、2つの小学校が集まって白浜中学校に入学する。ひと学年110人を超えるマンモス校の白浜第一小学校と、僕が通っていたひと学年18人の小さな白浜第二小学校。42人のクラスで、僕たちの小学校からの生徒は6人しかいなかった。中学に入学して最初の衝撃。初めて少数派民族の肩身の狭さを感じた。そもそも、勉強でも、遊びでも、ジャンケンですら、ルール・文化・発音まで違う!!意見を言う時はいちいち手をあげて言う。「多いものジャンケン」は最初にパーを出す。友達の名前を呼ぶときは男女問わず「名字」を呼びつけで呼ぶ。男子より高い、身長160センチ以上の発育のいい女子が、休み時間横一列に並んでトイレに移動したりするので、「風の谷のナウシカ」の巨神兵みたいで、なんかわかんないけど怖かった。

 

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授業で思いついたら勝手に発言し、クラスのみんなをあだ名で呼び合い、休み時間の5対5の“三角ベース野球”だったりは、人数が少ないからできあがった文化なんだと知った。小学生の頃の友達はみんな肩身も狭くおとなしくなっていた。一番辛かったのは “班決め”だった。

 

まずは、6人の班長を立候補と推薦で決めて、その6人の班長がドラフトで一班7人のメンバーを決めるやり方。「私やります!」元気よく立候補する女の子。お互い同士で推薦しあいっこする男子がいたりと、楽しそうに班長は決まっていったが、小学校の頃の仲間は全員、机に目を伏せたまま、時が過ぎるのを待っていた。「それでは、班長は残って今日中に話し合ってメンバーを決めて明日発表して下さい。」と先生が“終わりの会”で報告した。帰りに教室を横切った時、班長がドラフトしている姿が隙間から見えた。

 

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クラス全員分の名前の書かれたカードを順番に取り合って行く様子が見えたが、机から落ちている「石山」と書かれたカードを発見してしまった。『パニック』泣きかけて帰った。次の日、終わりの会で班決めの発表が班長からあった。1班、2班、中々、僕の名前が読み上げられない。結局、最後6班の時にやっと呼んで頂けた。僕を選んで下さった班長は、森さんという、少し気の強い、僕の小学校にはいないタイプの女の子でした。

 

33年たった今でも、初めて班になった友達の名前全部言える。女子は、班長の森さん、鈴木さん、太田さん、加森さん。男子は木下君、野口君、そして僕。各班での話し合いで、班目標を決めた。どうやら、運動でも勉強でも合唱コンクールでも、班対抗で競い合うらしい。球技大会のバレーボールだったり、授業中も手をあげる回数を毎回班ごとで競うルール。僕たちの班目標は『NO.1になる』でした。

 

班長の森さんから話しかけられた。「あんた、スポーツできるんか?あんたスポーツ枠で取ったから、頑張りや!!」同じ12歳とは思えない上から目線でしたが、「6班の為に全力で頑張ります」と言わせて頂いた。自分で言うのも何ですが、次の日から無茶苦茶頑張った!授業中、全部手をあげた。問題が解ろうが解らまいが関係なしに、全部手をあげた!「石山、解らんのなら手をあげるな」と先生に言われたがそれでも手をあげた。「それでは、石山以外に解る人」と先生も笑いの出汁で僕を扱って頂けるまでになった。一度、洗濯バサミを押したら、手をあげる早押しマシーンを作ったが、それは怒られた。

 

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球技大会もバレー部だったので、活躍でき、優勝できた。そんなこんなで、なんとか班の皆さんにも、クラスのみんなにも認めて頂き、6班は目標通り『NO,1』となり、僕は1学期のMVPを頂いた。森さんから、「あんた、よー頑張ったなー」同じ12歳とは思えないお礼を言って頂いたが嬉しかった。そして、二学期になり、あの恒例の班決めドラフト会議が始まった「第一巡目 選択希望選手 森班長  石山登啓 バレー部 白浜第二小学校」結局、1年間、森さんの班でした。

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