2026.06.25
社長ブログ
『江戸っ子母ちゃん ーパパパーキンソン編ー』
-わくわく新聞 2023年8月号コラムより― 前回からの続き母ちゃんの事、書きます。 2014年に高垣工務店のお客様のお爺さんの声「な一石山
2026.06.23
社長ブログ
WRITER石山 登啓
-わくわく新聞 2023年6月号コラムより―
いきなりですが、母ちゃんの事かきます。
僕の母ちゃんは、昭和10年に東京の下町、草履(ぞうり)屋の5人兄弟の末っ子として生まれた。
10歳の頃、第二次世界大戦で東京大空襲を経験。
「B29が低空飛行して、私と婆ちゃんを機関銃で撃ったのが見えたのよ!」
そんな母ちゃんの自慢は、あの三重苦で有名な
「あたーち(私達)はヘレンケラーの講演を聞いたことがあるの」
完全に歴史上の人物だと思ってた人なのに、生きた時代が分からない母ちゃんに衝撃。

18歳でファッション界のリーダー育成学校、文化服装学院に入学。
おしゃれにはうるさく「コシノジュンコは私の後輩よ」が母ちゃんの口癖。
母ちゃんの当時の写真を見ると、
浜崎あゆみバリのトンボメガネをかけ、
アメ車に悪そうなお友達と煙草をくわえながら腰かける母がいた。
ちょっとファンキーだった。
親分肌で面倒見がよく、ちゃきちゃきな江戸っ子。
そんな母ちゃんは下町の人気者。
母ちゃんの家は、女優三田佳子の次男の地下室ぐらいたまり場だった。
一度も就職する事は無く、友達の洋服をデザインして作って生計を立てていた。
稼いだお金は、友達との旅行とお酒とタバコとレコード代に消えていく生活。




そんな楽しい生活も、気付けば30代半ば、周りはどんどん結婚。
プライドの高い母ちゃんは妥協もできず、完全に出遅れた。
そんなタイミングで、
結婚式ではお馴染み「友達の紹介という名のコンパ」で、
北海道の田舎から出てきた男と出会う。
「みつよさん僕と結婚して下さい。」
場所はサラリーマンのヤケクソの場、ビアガーデン。
ストレートなメッセージを、アメリカのハプニングビデオみたく、みんなの前で告白。
それも出会ったその日。
「嫌です!!」
きっぱり断った。。。

が!!!
次の日、何もなかったかのように家に押しかけて来て、
笑顔で「みつよさん僕と結婚して下さい。」と告白。
「私、昨日ちゃんと断りましたよね!」って
突っ込みを入れさせない笑顔で近寄ってくる、
このキングコング西野のよりポジティブな男が僕の父ちゃんです。
押しの一手で母ちゃんを射止めた父ちゃんですが。
空気の読めなさが災い。
身内からのご評判もよろしくなく。
ふたりの居場所も無くなり、出した答えが、
駆け落ちで南紀白浜!!

ワーワー
白浜は新婚旅行と駆け落ちのメッカ。
温泉街など、住み込みで働ける所がたくさんあった。
日本中の家庭環境が複雑な方が集う街。
その街で姉ちゃんと僕と弟、兄弟三人が生まれ育った。
6畳2間、風呂、トイレ共同の社宅が僕たちの家。
母ちゃんは、言葉の違いなどで、あまり地元になじめず、
誰も知り合いのいない街での、40代の高齢出産での生活は大変だった。

僕たち兄弟は、
「母親が働いていない家庭は、
子供を幼稚園には通わせてはいけない!!
お国に迷惑をかける」という戦前のルールを守り、
母ちゃんの方針で6歳まで、幼稚園に通わず、母ちゃんに育てられた。
弟が前、僕が後ろ自転車にまたがり、
毎日、弁当を持って白良浜に出かける。
白良浜が僕たちの幼稚園だった。
母ちゃんの生き方が変わったのは姉ちゃんが死んでからだ。
僕が小2の時、小5の姉ちゃんが、幼稚園の弟の誕生日プレゼントを買いに行った帰りに、交通事故で命を落とした。
母ちゃんは、姉ちゃんの葬式の時、励ましてくれた、地元の人たちに恩義を感じて、地元に恩返しをしたいと決心!!
そこから、母ちゃんは明るくなった。
地域のイベントやボランティア活動に積極的に参加。
もともと、お祭り気質の母ちゃん。
面倒見の良さと、明るさで同級生のお母さま達より、
一回り年上の母ちゃんはみんなから「お母さん」と慕われるようになる。
友達も、男の子も、女の子も、
僕がいない時でも、母ちゃんと遊びに僕の家に来た。
料理教室したり、ブローチの手作り教室したりと、
みんなを楽しませるのが大好きだった。

今思えば、姉を亡くした僕たち兄弟を悲しませまいとしてくれた、
母ちゃんの優しさなのかもしれない。
そこから、僕たち兄弟は、大きな悩みも無く、
母ちゃんに成長させてもらった。
僕が田辺の高校に自転車で通うようになると、
毎日作ったお弁当を忘れる僕に届けるために、
55歳でバイクの免許を取った。
白いヘルメットの脇から、
モジャモジャノパーマを、なびかせて、自転車を追いかけてくる姿は、
巨人の助っ人外人“スミス”のようだった。

僕は、母ちゃんの明るい気質を受け継ぎ、
ノー天気で、高校生活を満喫。
バレーボールに明けくれ、みんなが進路の事を考え出した時、初めて気づく。
「ヤバ!なんも考えていねー」
母ちゃんは、勉強しろとか、大学にいけとか、進路考えろとか、まるっきり言った事がない。
親として言ってくれても良かったのに!!
と、筋違いで恨む。
「お前、大工やりたいって小さいころ言ってただろ!
この学校面白いよ。」
僕の人生を決めた日本建築専門学校を進めてくれたのは母ちゃんです。
長くなったので次回も続きます!!やらせてください。
『お施主さまとは生涯のお付合い』だと思っております。人生で一番高い買い物。家の性能はもちろんですが、紀南地方は台風や雨・風が凄い地域。家を守る事と、お施主さま家族と人生の苦楽を共に生きる、生涯お付合いできる仲間を育てるのが私の使命だと勝手に思っております。家だけでなく、そんな暑苦しい会社ごとかってください!!
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