2026.06.26
社長ブログ
『江戸っ子母ちゃん ーママフラメンコ編ー』
-わくわく新聞 2023年10月号コラムより― うららかな春日和の5月の連休に、東京で同窓会があり、中学時代の友達と都内をドライブしていた。 
2026.06.24
社長ブログ
WRITER石山 登啓
-わくわく新聞 2023年7月号コラムより―
前回の続き、母ちゃんの事書きます。
日本一高い山、富士山。
富士の樹海の中、標高1000mの所に、大工の棟梁を育成する学校がある。
日本建築専門学校に僕は入学した。
山奥すぎて、ご近所は、かの有名なオウム真理教。
ほぼほぼサティアンで4年間、日本建築を学んだ。
卒業後は、奈良県で宮大工になろうと思っていたが!
地元に彼女ができた💖
恋は盲目!!
よこしまな思いで、夢を捨て、地元に帰ってきた。
弟から一言
「兄ちゃん、地元に帰ってくるなら、
最後まで父ちゃん母ちゃんの面倒見てね!」
弟は、破天荒な僕の性格を知っていて、
兄の僕が、地元には帰って来ないと思っていたらしく、
自分が地元で親の面倒を見るつもりだったらしい。

昔から兄の僕とは違ってしっかり者の弟は、三重県で高校教師になった。
地元に帰るのを決めたが、就職の仕方が分からず。
母ちゃんに相談!
「凄い大工さん知っているよ」
高垣工務店で働いていた、川口棟梁に口を聞いてくれた。
高垣工務店での採用面接。
「親と一緒に来てください。」とご連絡あり。
おかんと一緒に高垣工務店の面接を受けた。
母ちゃんが
「この子は、明るくて、優しくて、本当にいい子なんです!」
ほぼほぼ僕しゃべらず。
何が良かったのか?
高垣工務店に無事採用!

替え玉事件とかではなくて、僕を全力でプレゼン。
母ちゃんのお陰で高垣工務店に入社。
実家にもどり、高垣工務店で働くようになってからは、
完全にパラサイト・シングル
(※パラサイト・シングルとは、社会人になってからも親元で生活し、経済的にも精神的にもいつまでも自立せず、家事など生活全般を両親に依存している未婚者を指す。)
高垣工務店初のボーナスの日、Tシャツ2枚だった。
僕を気の毒がって、母ちゃんお得意のハンバーグを作ってくれた。

母ちゃんの口癖、「お前は金食い虫だ」弟と比較される。
奨学金をもらいながら大学に通い、
身寄りのない土地で自分で道を切り開き、
母の日にプレゼントを贈る弟と比較をされる。
「母ちゃん人生は分からんぞ。俺にかけろ!!」
「ばかやろう!お前なんか期待できるか!」
母ちゃんは昔から、悪態をつきながら、出来の悪い子を可愛がる。
僕が28歳の時、彼女にフラれた。
理由「未来が見えない・・・」

「あーだったら、
未来を見せてやる!」
と、ヤケクソ!
失恋の三日後に土地の購入を決意。
しかし、家を買う金はなく、かあちゃんに泣きつく。
冗談で一回100万円の肩たたき券をプレゼント。
母ちゃんは太っ腹にお金を貸してくれた。
土地を買い、家を建てようとしたが、
彼女戻ってこず!
結局、家の打合せは母ちゃんとすることに。
人生初の家づくり、楽しそうな母ちゃんに、腹が立つ。
「なんで母ちゃんと新居の打合せをせなあかんねん?」
「私は、キッチンの色はブルーがいいわ」
むなしくなるけど、スポンサーのおかんは無視できなかった。
家を建てたら福が来る。
今の奥さん、きえちゃんと出会えたのは丁度このころ。
きえちゃんの実家は中華料理屋。
商人の娘。

「おかあさんコーヒー飲みますか?」と聞きながら、
自分の分を先に入れて、
「あーおいしい」と飲むズーズーしさを、
母ちゃんはえらく気に入った。
きえちゃんも母ちゃんのさっぱりした性格と気が合うらしく、お互い仲良くしてくれた。
結婚して3人の娘、孫にも恵まれた。

母ちゃんは、長女の萠恵を見るたびに、
死んだ姉ちゃんを思い出し泣いた。
「あんた鼻が本当に低いわね。
失礼の無い鼻でそれがいい!」と、
泣きながら言った。
母ちゃんが78歳の時、
僕たちが育った社宅が取り壊されることになり、
母ちゃん父ちゃんも出なきゃいけなくなった。
「一緒に住もうか?」と提案したが、
「お前の世話にはならない」と意地を張る。
「じゃーどうする?」
「白浜がいい」
「高台がいい」
「でもアパートは嫌!!」
「わがままか!!」
結局、ネットで「不動産 白浜 中古 最安値」で検索。
一番上にあったら250万円15坪(シロアリ被害あり)の物件を購入。

高垣工務店の現場監督市川さんに、
「遊び感覚でリフォームしてください」と依頼。
外壁を真っ赤にし、屋根にシーサーをのせ、
吹き抜けのリビングから見える中庭を、鯉が泳ぐ、“なんちゃって庭園”を創った。
和室も柿色にして、かあちゃんが和室から玄関に出てくると。
置屋のババーが出てくる感じがおもしろかった。

母ちゃんと父ちゃんは、僕には言わないが、
周りには、「ノブヒロが作ってくれた」と自慢してくれた。
考えたら、
東京から白浜に駆け落ちするまで、自分の家を持つ事がなく、
誰に気兼ねすることない自分達の城を78歳になって持てた事を両親は喜んだ。

また、色んな人が家に遊びに来てくれた。
僕たち同級生のお母さん方、ボランティアの仲間、近所の人、昔の職場の知り合い、孫たち、大きな笑い溢れる家でした。
今思えば、この頃が一番母ちゃんは、生活が充実し楽しかった時期だったと思う。
楽しい時間は、長くは続かず、父ちゃんがパーキンソン病になる。
長くなったので次回も続きます!!
是非やらせてください。
『お施主さまとは生涯のお付合い』だと思っております。人生で一番高い買い物。家の性能はもちろんですが、紀南地方は台風や雨・風が凄い地域。家を守る事と、お施主さま家族と人生の苦楽を共に生きる、生涯お付合いできる仲間を育てるのが私の使命だと勝手に思っております。家だけでなく、そんな暑苦しい会社ごとかってください!!
この記事のカテゴリ:
Same category
Popular articles!
TAGS