2019.12.13

社長ブログ

『社長が倒れて救急車で運ばれた!』

img

-プロローグ編-

 

『今!!社長が倒れて救急車で運ばれたぞ!』今から10年前、僕たちの高垣工務店の絶対的存在の社長が倒れました。当時、スタッフ6人、全員平社員の小さな工務店でした。「やばい、どうしよう!」目の前が真っ暗でした。まずは、社長が戻ってくるまで頑張るぞ!みんな、自分ができることを必死でやりましたが、社長の容態は一向に良くならない。そのうち、周りの人から、「社長は戻ってこれないかも?」「あの会社潰れるな!」色んな噂が飛び交い、スタッフにも伝わり、少しずつ緊張の糸が切れ出します。

 

社長 ブログ

 

リーダーを失った会社は、糸の切れた凧状態!!スタッフ同士の喧嘩が始まる。今でこそ、高垣工務店は、新築事業以外に、お節介屋のメンテナンス・リフォーム事業、きたえるーむの介護事業、ハッピーテラスの教育事業、リクシルERAの不動産事業があり、スタッフ全員チーム一丸で、お客様の為に、お互いを助け合う仲の良い風土の会社になったが、当時は、本当にみんな信じられないくらいバラバラだった。この危機的状況に、それはステキな素敵な救世主が現れたとさ!!It‘s me そう、僕!!僕が書く文章だから、自分が主役になる!これはしょうがないと思うよ、おいちゃんは!誰も褒めてくんないからね。てな訳で、大多数の方が興味無い、僕の事を少し書きます。昭和49年4月16日生まれ、姉、弟の3人兄弟。父ちゃんは北海道生まれの道産子、母ちゃんは東京生まれの江戸っ子。私、道産子と江戸っ子のハーフ。そんな両親が、駆け落ち同然でたどり着いた、新婚旅行のメッカ、白浜の温泉街の社員寮で育った。母ちゃんは36歳で結婚して、40歳で僕を生んだ。東京大空襲を経験したことのある母ちゃんは、同級生のお母さん方から「お母さん」と言われる位年上だった。戦前生まれの母の教育は独特で、『母親が働いていない子供は保育所に通わせてはいけない』と、毎日、僕と弟を自転車の前と後ろに乗せて、お弁当持って白良浜、臨海で遊んでいた。

 

社長 ブログ

 

近所の方の声もあって、「1年くらいは、幼稚園に通わした方が良い!」とのアドバイス。僕は、ムチャムチャあせった。同じ年の友達と遊んだことが無いから。自分は、みんなより遅れているのでは?“ピンポンパン”、“ポンキッキ”、“ワン・ツー・ドン”、“できるかな”テレビの教育番組が先生だった。今流行りの“ネット通信教育”の感覚で学んだ。幼稚園初日から、同じ年の皆様は素晴らしかった。堂々と幼稚園に通われているし、当たり前にハーモニカが吹ける。

 

社長 ブログ

 

吹くだけでなくて、吸うところがある楽器に苛立ちを覚えた。僕は、吹けないことがばれないように、一番うまい“さえみちゃん”の隣でみんなにバレないように吹かせて頂いていた。『石山君はハーモニカが吹けません』まさかの、“さえみちゃん裏切りカミングアウト”に衝撃が走った。人生で初のイジメに合う。みんなが、吹けない僕を小馬鹿にする。小さいながらもプライドは傷つく。そんな時、最後の切り札、父ちゃんの言葉を思い出した。「のぶひろ、お前は、お父さんと同じ寅年だ!寅は強い生き物だ。だからお前も強い子だ。」この父から受け継いだ、一子相伝みたいな言葉を、僕をイジめる友達に勇気を持って言ってみた。「僕…トラ年だから強いで!!」 「僕も寅年やで!」「私も寅年!」「え〜え!!みんな寅年なん。」ウサギ年がパラパラ混じる中、当たり前だが8割が寅年。知らなかった子も多く、その一件があってから、みんなと仲良くなった。なんだか、幼稚園が楽しくなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事のカテゴリ:

社長ブログ

お知らせ・ブログ一覧ページに戻る